同人女の感情と多様性について

自カプのwebオンリーをきっかけにまた多様性について考えた記録

 

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どこにも呟けないからここで呟くけど自カプのwebオンリー開催されるんだけど「他カプ逆カプ一切NG、結末が該当カプでも過程で他カプ描写あるものNG」て感じでかなり思想が強めでなんか分かんないけど悲しくなった、、、

スイミーが孤独を感じたのは周りみんな赤色のお魚だったからなんだよ、周りみんなバラバラの色のお魚だったら孤独感じてない(適切な喩えか?)

俺は逆カプも他カプも別に読めるタイプのオタクだし、自カプが結ばれない悲しい話も大好きだし、ふだん他カプ書いてる人がオンリーとかの祭に乗じて書いてくれる自カプからしか得られない栄養があると思ってるから、、、(同人女の感情になってしまった)

なんか好きなものの話をするときに強めの選民と排斥があるのが悲しいなって、、、(いや無理な人は本当に無理だろうから棲み分けなんだろうけど)(いつも思うけど好き嫌いとアレルギーの間にある差異ってなんなんだろう)

 

 

まぁでも己が人を傷つけてしまう性質を持っている側の人間が「差別されて悲しい、、、」みたいなのは暴力なのかな?

多様性の押しつけなのかな、、、

争わないためには棲み分けをしていくしかないのかな、、、

でもその「傷つく」みたいな、よく「地雷」と言われる表現ですが、そういうものの正当性って誰が判断するものなんだろう(いえ、誰にも判断できないものですが、、、)

世の風潮、みたいなものは確かにあり、ポリコレと言われるものだと思うのですが、「これは絶対だめだろ!」みたいなのがどんどん増えていっている訳ですが、、、

ちょっと違うかもですが、前なんか話題になってた増田でさ~

「夫が女装をやめてくれなくて困る」みたいなやつ、、、

「一人でやっててくれるなら(嫌だけど)まだ良いけど見てもらいたがるのが本当に辛い」みたいなことを書かれていて、

「人の嫌がることをしてはいけません」という道徳だと夫が悪いけど、

「女装=気持ち悪いとして嫌がるのが良くないことじゃないか?人は好きな服を着ていいんじゃないか?」という道徳とか、「そもそも例えば夫が何かしらの病気?障害?みたいなもので女装をしているんじゃないか。そういう人に対して嫌がるのは差別じゃないか」みたいな道徳(?)とかだと、妻が悪い、みたいな話になり、、、(いや悪いって言うか、別にジャッジなど不要だし不可だが、、、)

つまり明確な裁定など存在しない中で、どちらが正当性を持つかは時代とか、、、なんかそういうものによるわけですが、、、

なんとなく好き嫌いみたいな「お気持ち」よりも、病気とか障害とか人種とか性別とか、第三者からも観測ができ、自分の意思でどうにもできないとされるものの方が優先されると思うんですが(それはそう、第三者が確かめられる基準がないと裁定などできないから)

でもそれらと「お気持ち」って本当に別のものか?という、、、

オタクの言う好き嫌いってしばしば「地雷」とか「アレルギー」とか「宗教」という比喩で表現されるし、実際それは比喩ではないのかもしれない

嫌いな気持ちが吐き気や蕁麻疹といった身体の問題を引き起こすことはままあるだろうし、そもそもオタクの好きという気持ちは宗教の信仰にとても似ている

まぁだからなんだろう、好き嫌いもある程度尊重されるべきという話、、、?

でもこれ書いていてそりゃそうですね、の気持ちになってきた

誰かが傷ついたり嫌な気持ちになるよりも、自分の信仰に起因する疎外感が優先されることはないよな(でもまぁお気持ち表明するくらいは許されたいが、、、)

スイミーの喩えをしましたが、赤いお魚の群れで疎外感を感じるというなら自分が別の群れに行けばいいのだ、赤いお魚の群れは赤いお魚のままでいていい

多様性の理解、尊重って、、、難しいな、、、

正しさの裁定を求めなければいいんですが、、、他者と生きる以上なかなか難しいね、、、