VCRGTA

2週間弱、VCRGTAを見ていた。

いつも配信終わりの5時とかまで起きてしまい、翌日12時過ぎまで寝るとかいうウンコみたいな生活習慣だった。

ニートと配信者、相性が良すぎる。(あるいは悪すぎる)

主に葛葉視点で見ていた。

今回不破湊さんが参加してて私も念願でめっちゃ嬉しかったし最初は不破湊さん視点で見てたしめっちゃ初っ端の神カーチェイスとか本当にクソほど笑えたんですが、女の子たちと合流したところから(・・・・・)という気持ちになり見るのを止めた。

なんかだって女の子たちがさ〜〜〜それこそ葛葉が絡んでたカルビ姫とかアルスとか、あるいはめとちゃんとかだったならもう少し心安らかに見れたかもしれないけど、、、、(いえ、分かりません。これも言い訳かも🦆)

ガチ恋女の醜い嫉妬心悲しすぎるし苦しすぎる。

まぁいいや、それで葛葉視点で見てたんですけど、なんか心の指示厨がたくさん沸いた。

◯◯しなよ〜とか、●●しないほうがいいんじゃないの〜!?とか、△△さんに謝んなよ〜!!とか、、、

(わたしはコメ欄見ないし自分でコメもしない、己の心の指示厨は己の心で飼い殺しています。)

なんか小さなことでもイラッとしちゃうの心の状態的なものなのかな〜、、、て思って悲しかったけど、同時に仕方ないと思えた。

イラッとするくらいなら見るの止めればいいのだ。(でもなんかほとんど中毒みたいになっちゃって所々イラッとしながら見続けてしまった。)

あと葛葉が「俺が良いやつだと勘違いしてる奴がいるみてえだけど、俺を見てるくせに」と話していて、(確かに・・・・・)すぎた。

Vtuberの楽しみ方として自分で関係性や物語を編んでいく必要があるとは思うんだけど、それは時にオタクの過度な幻想を含む、当たり前ですが…

すべては解釈なので…

オタクは見たいものを見てるので、葛葉の『良いやつイメージ』だけを強調して、あるいはそうではない部分を排除して見ているが(主語でっかくしちゃったが、“私は”ということです)当然葛葉という人は多面的だし、どうあるか、どう行動するかは完全に自由なので、『こうあってくれ、、、』みたいなオタクのキモい願望はオタクのキモい願望でしかない。そこから外れたからって裏切られた!みたいな気持ちになるのは全くの誤り・・・・・・・

そういう意味でTwitterのオタクとかもキショいんだよな。

なんか“良さそう”な物語、“エモい”物語、“きれいな”物語を紡いでバズってるのとか、、、(偏屈僻みオタク?)

まぁいいんだが、、、それぞれの自由なので、、、

過度な投影は止めよう、それが逆に楽しいよな〜て思った日記です。

アイドルもVtuberもそうだけど、生きてるからこそ思いがけない喜びを与えてれる、、、ような、、、