日記

3210549年ぶりに髪を切ってきました。

そもそも私はマジで美容室が嫌いで嫌いで嫌いでここ数年コンサート前にしか行ってなかったんですけどそれでもコンサートは絶対年1以上のペースであったので定期的に髪切れてて(アイドルにマジ感謝)だったんですけど、コンサートも無いと髪切る理由も無くて伸び放題でした。

そんな私が今回髪を切りに行ったのは、家のお風呂が工事中のためクッソ水圧の弱い仮設シャワーで長い髪を洗うのがダルダルダルすぎるという理由(ことごとく実利)(実利?)

でせっかくバツンと切るんだったらヘアドネーションしたろとおもて協力店?みたいな初めて行くお店に行きました。

マジで予約の電話するときもお店入るときもクソお腹痛くて(本当に嫌なんだな…)ってなった(本当に嫌なんだよ…)

最初に問診みたいな感じで髪を扱う習慣についていくつか質問されて(下手言うと怒られるやつだ…)と思って嘘つきながら答えたんですけど、「最後に美容室行ったのいつですか?」て質問にはどう短く見積もっても1年だったのでびくびくしながらそのように答えた。

しかし思えばその時から担当のカワィィお姉さん(お姉さんと言いつつたぶん私と同じ世代くらいの方)は怒りもせず呆れもせず(してたのかもしれないけどそれはおくびにもださず)フムフムって聞いてくれていたのだった。

鏡の前の椅子に掛けてひとつ結びにしていた髪を解くと椅子の肘置きのところくらいまであって(そんなに長かったんだー)て他人事みたいに思った。

同時にそれだけ長い間放っておいたんだと一目で分かる長さだと思って恥ずかしい?居たたまれない気持ちになった。

ヘアドネーションは31cm以上の髪だけを送れるのだけど、お姉さんは「これなら余裕でとれますね~」と言ってサクサク切ってくれた。

マッサージしながらのシャンプーも気持ちよかったし、肩くらいまで短くして(たぶんトータルで40cmくらい切ったと思う)とてもすっきりした。

絶賛無職なので「お休みなんですか?」とか「お仕事何してるんですか?」とか聞かれたらどうしようと思ってドギマギしていた私に、お姉さんは業務上の言葉以外は何の話も振らずに、静かにただ髪を切ってくれた。

最後に「くせっ毛、好きですか?」と聞いてくれた。

何を隠そう私は己の半生以上を天パいじりと共に生きてきたのだ。

人からいろいろ言われるのが嫌でストパーや縮毛矯正をしていた時もあったけど、だんだんそれも面倒になってケアもおざなりになって(普通にケア不足は私の努力不足なのでなんか因果100ではないんだけど)何か言われても「嫌だけどまぁどうでもいいや」と思うようになっていた。

ほとんど迷わず「あんまり好きじゃないです」と答えた。

お姉さんは「私はすごくいいクセだと思います」と言って、簡単なスタイリングの仕方を教えてくれて、実際にやってくれた。

帰り際には「スタイリングで分からないことあったら何でも電話してください!」って名刺をくれた。

なんか美容室のお仕事として当たり前というか普通のことなのかもしれないけど、私はすごくすごく嬉しかった。

今まで美容室に行くと、カット中に顔の角度を何度も何度も修正されたり、シャンプー後に30分くらい放置プレイ決められたり、普通に雑誌読んでたら「めっちゃ読み込みますね(笑)」て言われたりしてきたのだ。

身動きひとつにすごく気を遣って、何の雑誌を読むかも監視されているようで、知らない人と話をするのも苦痛で、なりたい姿もやりたい髪型もなくて(あるいは私がそれを言ったらバカにされるんじゃないかという怖さがあって)、だから私は美容室が嫌いだった。

不快なことが一度もない美容室があるなんて、今日の今日まで知らなかった。

それどころか気持ちよくシャンプーしてもらって、褒めてもらって、鏡を見たり自撮りをするときに思わず笑ってしまって、ここに来る前より自分のことが好きになっていて、私は美容室という場所の素晴らしさをようやく知った。

 

昨日ね、友達と遊んでるときに、ある話の流れで友達が「〇〇って芸人さんがね、すごいアゴが出てるんだけど、学生時代1回もいじめられなかったんだって。いじられる愛されキャラだったんだって。そういうのってさ、自分の意識の問題だよね。」って話をしていて、私はマジで「………」になってしまった。

私だって確かに「いじられる愛されキャラ」だって思ってきたけれど、本当はいじめられていたのかもしれないのだ。

「いじめられていた」、と思うより「いじられる愛されキャラ」だって思っていた方が傷つかないから、惨めじゃないから、苦しくないから、無意識にそう思い込んでいただけかもしれないのだ。

でも自分がどう思おうが、どう捉えようが、自分が受けた仕打ちは変わらないじゃないですか。

ふわふわの、ぼさぼさの、私の髪のことを揶揄した人はたくさんいて、私がそれにどうやって返していたのか思い出せない。

10年経って今でも会うような友達の中でも、私を揶揄った子がいる。(別に今それを恨んでいるという話ではないんだけど、いじめっ子といじめられっ子ではない友達同士でも当たり前に拳は振るわれていたということ)

いつの間にか何を言われても曖昧に笑って流すようになってしまったな。

何ていうか髪以外のこと、例えば私の生き方に関することや、おっぱいの大きさに関することで揶揄われたときには「そういうことを言わないでください」「あなたにそういうことを言われる筋合いはありません」とちゃんと言い返すことができるし、そうしているうちに私につまらないことを言ってくる人は周りからほとんど消えたけど、

どうしてか髪のことはずっと曖昧に笑って流してきた。

どうしてかというか、私は髪のことを痛めつけている自覚があったし、大事にしていないと分かっていたし、自分だって好きじゃないし、そういう風に言われても仕方ない、そういう風に言われるのは当然のことなんだ、という気持ちがあった。

今日が初めてだった。

他人が私の髪を「良いクセですね」と言って、そして私自身も良い!と思える形で見せてくれたのは、本当に初めてのことだったのだ。

これまでだって「外国人みたいで良いじゃん」と言ってくれた人が、いたにはいたんだけど、私は本当に卑屈なので(皮肉…?)(嫌味…?)(良いわけね~だろ)(なんの苦労もせず直毛の人間は黙っとれ)などと思っていました。(口では「ありがとうございます^^」と言っていました)(最悪)

鏡を見て、私も「確かに、良いかも!」と思えたのが、本当にスゴいことだと思う。

美容師さん、本当にスゴい仕事ですよ…(今さらですが)

 

 今日こちらのツイートを拝見しまして、今まで私って自己肯定感バリ高だと思ってたんだけどもしかして全然違いましたか・・・・・?????になっちゃった。

なんかそもそも私の自己肯定感の高さって大学4年の時に「人はそれぞれ違う」ことを完全に理解したところに由来していて、

人はそれぞれ違うんだから、私がどれだけクソだろうがクズだろうが、それで良いんだ!!!!!っていう肯定感だったんだけど、

それってもしかしたら、私が自分のことをクソだとかクズだと思っているというゆるぎない証拠だったのかもしれません。

自分のことを大事にするっていうことにはまっっっったく取り組めていなくて、いつまでもセルフネグレクトをし続けていて、それがもしかしたら私の無意識の呪いだったのかもしれません。

ということに気づけたのは間違いなく今日美容室に行ってあのお姉さんに髪を切ってもらえたからでした。

お姉さん、本当に本当にありがとう…

 

おっぱいの話で思い出したけど、私の新卒時の同期は私含めて6人いて、1年目2年目はまぁそれなりに仲良くてみんなで休み合わせて遊びに行ったり飲みに行ったりしてたんだけど、

一人の女の子が私のおっぱいが小さいということを結構しつこめに揶揄してきたときがあって、私は「いえ、すべてのおっぱいに平等に価値があります」「どの大きさが好きかというのは人それぞれなので、価値も人それぞれです」と答えていたんだけど、

そろそろしつこいな~と思ってたときに、他の同期がその女の子にちゃんとみんな揃って「言いすぎだよ」「しつこいよ」「もうやめなよ」って言ってくれたことがあったんですよね。

おふざけだろうが何だろうが他人の身体や属性に対して攻撃したり揶揄ったりすることはそもそもクソなんですが、そういう場面を見かけたときに、「それは間違ってる」「良くないことである」とちゃんと指摘できる人間がいる心強さよ…

自分も誰かに対してそうありたいし、自分自身についても、ちゃんと大事にしていきたい。

クソでもクズでも良い!っていうのは確かに救いだし、ぬるま湯だし、セーフティーネットだし、私がダメダメなのは本当にそうなんだけど、

私だってまるっきりダメなわけじゃないし、価値があるし、その価値をこれからいくらでも磨いていけるし、既に私を大事にしてくれている人たちのためにも、磨いていくことを諦めちゃいけないんだって、忘れないようにしたい。

良い一日でした。