日記

ずっといつ爆発するか分からないみたいな張り詰めた状態が続いている気がする。

元気な気もするけど、元気じゃない気もする。

限界な気もするけど、まだ頑張れる気もする。

自分のことは自分しか分からないのかもしれないけど、自分でも分からないから私のことが分かる人はもうどこにもいない。

こうやってある日起き上がれなくなる日を待つのかもしれないし、あるいは意外といつまでも大丈夫で、なんとか我慢し続けられてしまうのかもしれない。

まあやってみないと分からないっていうのは本当にそうだ。

今日、上司が旅立っていった。

9年間この地域にいたらしい。すさまじい。

本当にバカみたいに泣いたんだけど、実際一緒にいたのは1年くらいでたぶん上司の方は私などとの別れなど痛くも痒くも無くて、マジで勝手に一人で自己満足で泣いたんだけど、何がそんなに悲しいんだろうと思ったけど、

昨日好きな上司2人ともこの上司が面接して採用したって聞いて(全部そういうことじゃん・・・・)て点と点が繋がってしまった。

この場所を作ってくれた人だったのだ。

本当に私の短い短い社会人生活振り返ると9年の凄まじさに比べてショボすぎて情けなすぎてまた自尊心が(死・・・・)て感じなのだが、

1年前の9月、入社から1年と経たずに限界を迎えていた私がいまの事業所に短期異動して、本当に文字通り息を吹き返したのだった。

この場所が好きだな、この場所ならまだ頑張れるかも、と思って異動してきた場所、当たり前に勝手に発生したわけではなく、この場所を作ってくれた人たちがいたのだ。

この感情になるの人生2度目だ

大学のサークルのときも同じ感情になったよ。

ふらふら無責任に気まぐれにいつ行っても楽しいのは、いつもその「場」を守ってくれている人たちがいるんだと気づいてから、私は恩返しとして自分も守り人になりたいと思ったのだ。

少し前、帰宅直前で原チャのヘルメット被ったまま自販機でコーヒーを買ってた上司を迷惑にも引き留めて、今後のことをいろいろ聞いて、果てに「不安です…」と零した私に、上司は「みんながいるから」と言ったけど、

みんながいたのはあなたがいたからだよ、、、と恨み言のように思ってしまった。

この場所を守ろう、守れる、頑張れると思うだけの責任感も自信もないのだ。

(そう思うと大学生の私は本当に自信家でしたね。。。)

上司がしてくれるいろんな思い出話を聞いていると、9年という時の重みを思い知った。

気づけばいつも職場にいる上司だったけど、本当に大変そうで楽しそうで頑張っていて、それに見合うだけの(見合っていてほしい、という祈りだけど)いろんなものを持っている上司が、輝かしくて羨ましい。

わたしもこの場所で9年我慢すれば、同じものを得られるかな、、、と思うけど、そもそも我慢してる時点で全然同じじゃなくない?どうだろう

頑張ることの美徳を知っている、でも同時に頑張らなくても生きていいことを知っている。

わたしはわたしの人生なんてどうでもいいんだ、意味も価値もなくていい、他人の人生に焦がれ続けるだけでもいい、可哀想がられる必要はない、そうやって思っていることも嘘じゃないはずなのに、同時に空っぽであることへの焦燥感が常にある。

 

新潮12月号掲載の舞城王太郎「檄」を読みました。

優しく振舞うことはできるけど、「本当の優しさ」については一生分からないままなのでかなり胸の痛い話だったよ。

本当の優しさについて分かる人なんている?

「普通」という言葉も怖いし…

特別になりたくてもなれない、平凡で凡庸な私はしかし、「普通」にすらなれないので…

ありふれた異常性を抱えた、どこにでもいる異常者たる私にとっては今こうしてここに生きていることが「普通」なんだけど…

自分の思う「普通」を行って他者に認めてもらえるのはかなりの幸運じゃないか?

お兄ちゃん、トロフィーワイフの棚子に通ずるなって思った、私は舞城のこういう登場人物を見ると、大学のサークルで失った友達のことを思い出すのです。

「そういう風に振舞うべきだから、そういう風に振舞っている」だけで、実際の感情なんて全然伴っていない、人の心の無い人間、あるいは人ですらなくモンスター

この間、彼女の怖い話を聞いて(あぁ、自分は間違ってなかったんだ)と思ったけど、

実際のところいつだって自信はない

自分の「実際の感情」なんて分からないから。。。

いつだって自分もモンスターになれるという怯えだけが、自分を人間にとどめているような気さえしている。

結局自分がどういう人間なのか、どれだけ自信を持って話せるか、ということなのかもしれない。

他人を評価軸にしてしまうと、そういうことになってしまう、「実際」ではなくて(それは実在しないものかもしれないけど)語る力勝負みたいになってしまう

そうだ

だから私は孤独を愛しているし、他人を求めていないし、独りぼっちになってそれでも最後に笑いたいって思っているんだ

自分のためだけの基準で、自分のためだけの幸せでいいのだ

 

港で、汽笛がなって、みんなで手を振る。

船に乗った上司が、小さな小窓から手を振っている姿が、どんどん遠くなっていく。

門出だ。

シンクロニシティ。私にとっての門出はいつも船のイメージだ。船が新たな海へと進んでいくイメージ。

大4のときの引継ぎで、「船出の時」という言葉が降りてきた。私は何故か演説が得意なのだ。そのときその場所に正しい言葉を引き当てることができた。

2年前、初めてこの地に降り立った私たちを、空の港に迎えに来てくれたのもあの上司だったんだと思い出す。

あの時迎えてくれた上司を、こうして港で見送れて、寂しいけど正しいような気持ちがある。

自分も自分の舵を取らねばならない。