死にたいな~と思う。

考えれば考えるほど生きていくのが難しい世界すぎるため、頑張って生きるだけの理由がないため、正確には理由は探せばあるけどそれらとこれから先一生頑張り続けなければならないめんどくささを天秤にかけると余裕でめんどくさいが勝つため

街で働く人たちを見て本当にすごいと思う。

皆働いていて本当にすごい、それがやりたいことでも、やりたくないことでも、一生懸命やっていても、嫌々渋々でやっていても、とにかく働いていることがすごすぎる。

一度仕事から離れてみるともう二度とあの場所へ戻ることはできないような気がしてくる。

決められた日時に決められた場所にいなければいけないのが嫌、好きな服装ができないのが嫌、なのに化粧はしなければならないのが嫌、髪の毛を縛らなければならないのが嫌、いろんな人に会わなければいけないのが嫌、

とにかく労働というものを創るほとんどすべての要素のことが嫌で、無理で、我慢ならないのだ。

なんか「我慢しなさいよ」「みんな我慢してるんだよ」みたいな話かもしれないけど私はそうは思ってなくて、みんなは我慢できるのかもしれないけど私はできないのだ。それが私の明確な欠陥だ。

うつ病という診断書をもらったけど、私としては診断書をもらうために病院に行ったのであって別にうつ病を治すために行ったのではないので処方された薬も別に飲んでいない。ていうかこれが一時的な病気なのか先天的な性質なのかただのわがままとか怠慢なのか、誰にも分かんなくないですか?私にも分かんないし…

なんか病院の先生に「いつからそういう状態なのか~」みたいにいろいろ聞かれて話してたけど「休みの日にずっと寝てるってそもそも健康な状態じゃないからね」て言われてカルチャーショックすぎてびっくりしてしまった。え?そうなの?そんなん人によるんじゃないの。休みの日にずっと寝てる人だっているだろ。いないの?そんなこと言い出したらもう大学生のときからずっと健康じゃないが…

まぁ別に健康であるために生きてるわけじゃないし…

てか生存のために生きてないし…

死ねるなら死にたいな~と思う。でも死ぬのもなかなか大変そう。

痛いのとか苦しいの嫌やし

安楽死とか調べてみたけどスイスとか安楽死を認めている国でさえ治る見込みのない難病の人に限ってたりしてただの死にたいだけの健康な私が安らかに死ぬことは誰にも許されてない

人間、生きることを権利として認めてる(誰が?)くせに死ぬ権利は認めてくれないんだ~っていう…クソが…

社会とか世界とか人生とか生きたい人で勝手にやってくれ~死にたい人を巻き込むな…頼むから死ねる薬をあったらいいな♪みたいなテンションでドラッグストアで売ってくれ

インスタをアンインストールして一週間くらいですが、フォロワーの何人が「あれ?最近みないなー」みたいに気づいてくれてるのかな?みたいな虚しいバカらしいことをまた考えている。

私は勝手に一方的に執着している人のことをインスタの既読で生存確認していたのですが、その人が生きているのか死んでいるのかもう分からない。

ていうかそもそも別に生きててもインスタ見てないだけとか全然あるのにね。いまの私みたいに。

でもそんな頼りない、情けない、脆弱な繋がりでしか生存を知れない、そゆ人たちっている

ある程度仲良かったら安否しりたかったら直接連絡すればいいわけだけど、何かのきっかけもなしに、あるいはきっかけがあったとしても、そうやって連絡をとれる人が何人いるだろうか

別にたくさんいればいいてことでもないし、いないわけじゃないしその人たちちゃんとずっと幸せに生きてほしいな、て思うけどさ(他人の生のことはこんなにも無責任に願えるのにね)

でも本当に執着している人間の、結婚も、出産も、死去も、わたしは知ることできないのかもしれないと思うと、どうしようもなく苦しくなってしまう、それが執着だから

でも当たり前なのだ、私が執着しているのはその人の過去であって、その人の現在とかその人の未来は私にはもう一切関係ない、断絶した遠い場所にある出来事たちなんだ。

うわー、つらく悲しい…

なんか一時期「勝手にふるえてろ」見て情緒壊れたけど、結局わたしは「勝手にふるえてろ」的オチが嫌でほとんど憎んですらいて、一生過去の幻想の中でキモく生きてキモく死にたいと願っているのだ、そしてそのことについては肯定しているのだ、しているはず、無意識に否定しているのかな?どうだろう…

つらく悲しいのは良いけどつらく悲しいからといってその傷を治そうとしたくない、ということ。かさぶたができた傍から剥がしていって、絶対にこの傷を負ったまま死ぬぞ

でも今思ったけど勝手にふるえてろは現実逃避の方向が現実だっただけ(幻想および幻想が与える傷から逃げた)で、私が情緒壊すほど怒ったり悲しんだりする必要なかった気がしてきたな。私もまた現実逃避をしているので(どうだろう、好きなものに執着していることって本当に現実逃避ですか?なんで現実が他人の作った社会・世界上のものでなければならないんだよ)

このまま全部グチャグチャになっていったら、死ぬ苦しさ怖さめんどくささに死にたい気持ちが勝つことありますかね?

あったらいいな♪