物語

アイドルには物語があるんですよ。

顔の良い男が歌って踊るだけじゃない、いやもちろん顔の良い男が歌って踊るのは最高なんですが、それ以上に彼らの背負う物語がどうやったって私を惹きつけて離さない。

私が応援しているHey!Say!JUMPにももちろん物語があって、昨日またその物語の1頁が更新されてしまったので、感情の記録をしておきます。

そもそもHey!Say!JUMPは2007年9月24日に結成発表、11月14日にCDデビューをしてから今年で14年になるジャニーズ事務所のアイドルグループでした。

私としては今や全くダサさを感じなくなってしまったグループ名には「メンバー全員が平成生まれで、平成の時代を高くジャンプしていく」という意味が込められており、現在最年長の薮宏太さんが31歳、最年少の知念侑李さんが27歳とまさに平成ど真ん中世代による平成を象徴するグループだと思う。

デビュー当時の平均年齢は15歳7か月、デビューコンサートでいきなり東京ドームに立つという(コンサート名に「いきなり!」と入っちゃっていることからもそれがどれだけすごいことなのか伺える)華々しいスタートを迎えたように見えた。

しかし実際は、バラバラのJr.内ユニットに所属していたメンバーが集められた突然のデビューであり、東京ドームも本来の座席がすべて埋まることはなく、当時まだJr.グループであったKis-My-Ft2A.B.C-Zなどを動員してもなお、トロッコや花で余白を埋めたうえ、アリーナで車に乗ったメンバーが巡回するという大胆な使い方ができてしまっていたのでした。

デビューからはるか後年にファンになった私には、伝え聞くところでしかありませんが、当時のJr.グループのファンの心中も穏やかではなかったでしょう。

当時のJr.グループの乱立具合はWikipediaを見ていてもマジで把握不能なんですが、

Ya-Ya-yah所属だった薮宏太さん、八乙女光さん

J.J.Express所属だった髙木雄也さん、伊野尾慧さん、有岡大貴さん

期間限定ユニットとしてのHey! Say! 7に所属していた山田涼介さん、知念侑李さん、中島裕翔さん(髙木君と大ちゃんも所属していたし、驚くべきことにほぼ全員がここには挙げていない複数のグループを渡り歩いているのですが)

そしてイギリスからの留学から帰国後すぐ加入しデビューした岡本圭人さん

(2011年から活動を休止しており、今はジャニーズ事務所を対処している森本龍太郎さん)

と、まさに十人十色の経歴を持った10人で始まったHey!Say!JUMPというグループは、所属メンバーがそれぞれ歩んできた歴史を背負い、その上で今度は1つのグループとしての歴史を紡ぎあげてきました。

ジャニーズの「デビュー」という制度には、その裏に数多の「デビューできなかった」Jr.たちがいて、今は事務所を去ったかつてのアイドルたちと、彼らを応援していたオタクたちの悔しさや悲しさ・やるせなさの上に、デビューしたアイドルたちは立っていると思うのです。(もちろん私がそうあれ、と思っている訳ではなく、そうでしかあれないのではないかな、と推察しているだけですが)

14年が経った今でも、少しTwitterの海を泳げば、14年、あるいはそれ以上前に見た輝きを回顧し、甘美な「what if」に浸っている人たちを見ることができます。

現実を受け入れられることは、幸運なのでしょうか、欺瞞なのでしょうか。

私はすべてのオタクが「間違っていない」と思います。

苦しくても、悲しくても、そうしたくてそうしているのであれば、それはすべて「正しい」ことだと思うのです。(もちろん、他者に迷惑をかけない範囲での話ではありますが)

少し話が反れましたが、そのように不安定なデビュー前の戦国時代を経て、幸運にもデビューし、幸運にも活動を続けてくれていたために、2016年の夏、私は八乙女光くんに出会うことができました。

 

Hey!Say!JUMPの在り方が好きです。

例えば、彼らは他のグループには当たり前にみられる「リーダー」を擁立していません。

私はそこに、誰かひとりに役割として責任を押しつけず、権限も責任もみんなで背負うという「平成らしい」(と言ってしまっては、彼らの彼ら由来の美徳を時代のおかげにしてしまうみたいで惜しいのですが)覚悟を感じます。

なんなら2014くらいまでメンバーカラーも決めてなかったらしいです。いろんな色が着たいから。

そうだよね!でしかない理由!そうだよね、いろんな色が着たい、いろんな色を着てもいいんだよ。アイドルだからってひとつの色に縛られることないよねって、なんだか気が抜けるような、固定観念から距離をとって自分で考えたから出てくる自由な答えが、ひどく愛しく感じるのです。

(もちろんメンバーカラーを決めている今、自分の好きな人を象徴する色が決められていて、それを身に纏えることもまたオタクとしての幸せではあるのですが)

彼らは、昨日の動画でもやはり「皆で納得して決めたこと」だと言ってくれました。

彼らはそれがどれだけオタクを納得させる言葉か、よく知っているのかもしれません。

私は人嫌いの集団フェチなのですが、なんか本当に、Hey!Say!JUMPは本当にすごいグループだと思いました。

9人の人間がいて、彼らがみんな納得して(その納得度に差はあるかもしれませんが)こんなにも優しい結論を導き出せたことが本当に素晴らしく、誇らしく、尊いことだと思うのです。

仲間の選択を受け止め、応援する、それがたとえ自分たちとは道を違うことになっても。

そういう風に選び、決め、伝えてくれた彼らに、私は感謝と敬意しかないのです。

そして同時に、怒ってくれたのであろう山田涼介さんに対しても。

自分勝手だな、という言葉で、オタクの心を代弁してくれた山田涼介さん、2年半前、けいとりんの一番近くにいて、けいとりんが留学することを一番寂しがっていて、けいとりんが戻ってくることを一番心待ちにしていた、少なくとも私にはそう見えた山田涼介さんその人が、もう怒ることも赦すことも既に終えた後だと言うなら、もう私たちオタクに言えることはないと思うのです。

もちろん、怒ることも憤ることも赦すことも、すべての感情が私たちに許されていることも、その姿勢で示してくれました。

山田涼介さんだけじゃない、けーとりんが喋っているのを黙って聞いていた8人が8人それぞれの表情で、私たちと一緒にその発表を受け止めてくれたように思いました。

こういう時でも笑ってくれるゆーとりんの明るさが、まっすぐにけーとりんを見ている光くんの素直さが、落ち着いた姿で導いてくれるような薮宏太さんの冷静さが、ふんわり柔らかくてすべて受け入れてくれそうな髙木くんの大らかさが、氷を解かすようなさりげなくて繊細な大ちゃんの気配りが、飄々としているけど頭の回転が速くてすかさず言葉を投げ入れるいの~け~の聡明さが、誰よりもJUMPのことが好きで誰一人欠けてほしくないと望んだ知念さまの寡黙さが、

それぞれの姿が、愛しくて、眩しくて、9人のHey!Say!JUMPが大好きだなぁ、って改めて思いました。

そしてそれはこの9人も同じで、みんながみんなHey!Say!JUMPが大好きで、大事で、じゃあなんでって、思う気持ちももちろんあるけど、

それでも私は、あくまで私はではあるけれど、ここでまた一つのチャプターが終わったんだな、と受け止めているし、その終わり方を美しいものだと思っている。

 

邪悪な話をしますが、実在人物にまつわる創作ジャンルは所謂「ナマモノ」と呼ばれますが、言い得て妙だと思うのは、アイドルが特性として鮮度と儚さを持つからです。

ずっとそこにあるものではない、今日はあったけど明日はないかもしれない、大好きなアイドルがこちらを見て笑ってくれるのは、当たり前のことではないのです。

世間でもアイドルについてニュースになる日が少なくはなくて、「いつまでも いると思うな 親と推し」みたいな標語が広く認知されるようになったと思う。

何度も何度も思い知らされるけど、思い知らされる度に新鮮に泣きたい気持ちになっている。

なにも脱退だけではない、卒業だったり、解散だったり、スキャンダルだったり、炎上だったり、あるいは加入だったり、変化だったり、夢から醒めるスイッチは、そこら中にある。

私が見たい夢を見れている、今この瞬間は、本当に奇跡みたいな一瞬の瞬きでしかないのだ。

仕方のないものだと分かってはいるけれど、それでも私たちは永遠の可能性に縋ってしまう。夢の中では「いずれは醒める夢」だなんてこと、忘れていたいのだ。

 

グループ最年長である薮宏太さんは、Hey!Say!JUMPのデビュー直前にひとりジャニーさんに呼び出され、Hey!Say!JUMPのデビューメンバーを提示されて「どう思う?」と問われたそうです。そしてそのとき薮宏太さんは分かってしまった。このメンバーたちのこれからが、人生が、今自分の答えで決まってしまうんだと。

当時若干17歳という若さで、自分を含めて10人もの若者の未来を一身に背負った(背負わされた)薮宏太さんに対して畏敬の念を抱かざるをえないが、

同時に私はこのエピソードを、アイドルというエンターテイメントの邪悪さと共に思い出す。

私たちは、アイドルという名の「人間」を、彼らが生きる「人生」を、自分の「娯楽」として消費しているのだ。

彼らの笑顔を見て笑い、涙を見て泣き、挑戦を見て奮い立たされ、挫折を見て慰められる。

今回も私はメンバーの葛藤と決断を、エンタメにしているのだろう。あるいはそれを見たオタクの叫びや怒りや嗚咽や無常を、エンタメにしているのだろう。

ひどく邪悪で卑しい趣味だという自覚はあるし、この自覚を失ってはいけないと思う。

あるいは、この自覚を免罪符にしているのかもしれない。

分かっているから、知っているから、自分の罪も悪も、ちゃんと自分で責任を取るから(どういう責任の取り方をすれば、赦してもらえるのか分からないが)、

あるいはもう誰にも赦されなくても良いから、それでもアイドルの物語をかぶりつきで見ていたい。

叶うのならば、夢を見ている間に死んでしまいたいくらい。