2020年秋の精神崩壊
秋、それは精神が不安定になる季節・・・・・
ヤバイヤバイメンタル落ちる~~~て思って焦ってブレーキかけるためにエンタメを摂取していたら急に我に返って「知ってます、私がオタク活動で自分の人生以外に魂燃やして他人の感情を借りて楽しんでるだけのクソ人間でいつまで経っても己の人生に向き合わずヘラヘラ生きてることが全部悪いってことは」になっちゃって救ってくれるはずのエンタメが地獄トンネルへのアクセルになっちゃった。
自分の人生に向き合うとは???????というそもそもの問いにすら答えられず、マジで生きてる価値のない空っぽの己、早く死んでしまった方が良い~~~以外の感情が無くなって、
もう死んじゃお…と思ったけど死ぬ方法を考えたけど自死は怖くてビビッちゃって死ぬことさえできない無能なんです、私は・・・・・・
て落ちて落ちて崖を滑り落ちている途中で引っかかったのは「私は私の友達たちに生きていてほしくて、彼ら彼女らが自死を選んだとしたらたぶん怒るし悲しむしそれは100のエゴだけど、私が自死を選んだ時もまた友達たちはそういう風に思うんじゃないかな、わたしの友達だから、、、」ということでした。
結局孤独を感じて自分のこと認めてくれる人がいない…みたいになってるから己が無価値に感じるし、無意味に感じるのだ。
「本当に友達いない人は友達いないって言わないので」という逆説的に使っていた「友達いない」という言葉が、いつしか真実味を増してきて、言霊の力は怖いしほんとになっちゃうんだからなるべくネガティブなことは言うべきではないな…と改めて思ってる今日この頃ですが、友達まったくいないかと言うとそういうわけではない。
己が己にかけてきた言葉の呪いを解くためにも断言するが、私にも友達はいて、ではなぜこうやって一人で孤独を抱えて苦しんでいるのか?というと、私は友達たちのことが好きで、嫌われたくなくて、呆れられたくなくて悩みを打ち明ける…みたいなことをしていないんだと思う。
でもまぁまだ私に付き合ってくれている友達たちなんて私に1943297回呆れてきた呆れプロしか残ってないので余計な心配なのかもしれない(のうのうとこんなことを宣う、無神経人間性おしまい人間ことわたし)(いつも本当にすみません、ありがとうございます)
まぁ友達はいるが結局誰もわたしを一番にはしてくれませんし…と卑屈な己が尚いじけているが、結局誰かの特別になりたいなら誰かを特別にしなければならないし、それは一方的なものではなく、双方向で、真面目に関わって、真剣に大事にして、そうしてようやく得られるものですよ。(正論が痛い・・・・)
人間とのかかわりが苦手だしそもそも私には必要ないので・・・と孤独を愛するふりして生きてきて、(知らん、孤独を愛してもいますが。)(フリ100%ではない)今さら急に「大事にされたい…」とか言い出しても虫が良すぎるという話。
そして他人に認められるのはいいが、そもそも己が己を認めることが一番大事で、己が認めてないと他人に認められていることを認めることもできないからだ。
そして己が己を認めるのに一番手っ取り早いのは「何かに取り組む」ことで、正直それが仕事だろうが生活だろうが何でもいいけど、とにかく自分が自分を認められるだけの何かを頑張ってやっていく。
とりあえず英語の勉強する。1月にイギリスのワーホリ申し込む。
仕事はしばらく頑張ってみる。ほかになにかやりたいことがあるわけでもないので、とりあえず今自分がこの場所でできることを頑張ってみる。
将来への不安もあるし、正直はやく働かなくて良い人になりたいすぎるけど、とりあえず今のバイタリティでは何もできなすぎるので、己を信じられるだけの実績を重ねたい。。。頑張る。。。
ということを港まで海辺を歩きながら考えて原チャ回収してカフェでノートにまとめてみた。
そしてそののちバンプのアカシアの歌詞をノートに写経した。(厨2のメンタルだからすべてが許されます)
オタクをやっていると「夢中になれるものがあっていいね」と言われることが割とあり、これまでは普通に称賛として受け取り「へへへ…」などと誇らしげに思っていたのですが、ここにきて急に我に返って己のオタクの活動が現実逃避でしかないことに気づいて(もしかして今までのあれ、皮肉でした?)になって一気にダメージを受けているんですが、
2年前の自分が予言していたように、己の生活がしっかりとしていないとそういう風に自分の好きなものたちが「現実逃避」に成り下がってしまうのだと改めて…(2年前、2018年の9月、宮城でのJUMPのコンサート後のインスタ長文ポエム引用→
何が好きなんだとかどこが良いんだと言われることもありますが、1つ1つ挙げていけば本当に無限なので、強いて言うならば「好きでいさせてくれる」ところがアイドルの最高なところだなと思っています。
彼らは私の見たい偶像を完璧に見せてくれて、「好きでいる」という状態を本当に好き勝手にやらせてくれています。
でもそれはアイドルたちの努力とか、我慢とか、言ってしまえば仕事・労働によって成り立っているものであり、彼らが彼らの意思で「アイドルであろう」としてくれることが本当にありがたいことだなと思うのです。
そしてそれに感謝して、私自身が私自身の生活に対して真摯に取り組んでいかなければならないな、と強く思いました。
それは私のけじめであり、誠意であり、エゴであるのですが、『Hey!Say!JUMPのおかげできちんと一生懸命生きれている私』であることに、また幸せを感じたいのです。
(全然守れてねぇ、誓い)
己の生活をしっかりと充実させ、「ひかるくんたちがいなくても生きていける我が人生だが、それでもひかるくんたちと一緒に生きたいんだ!」と胸張って言えるように頑張る。
そんな感じで自分のやるべきことがある程度はっきりしたので何とかメンタル持ち直した。(たぶん)
夜は小山田壮平のライブを見ました。
わたしが高3だったときに川に飛び降りて大怪我をした小山田壮平。
本当に不謹慎なことを言いますが、そのおかげで私は行けなかったはずのandymori武道館ライブに行けたのだった。
飛び降りない人生の方が良かったのかもしれないけど、飛び降りたことで救われた人もいるよということ。(どう言っても不謹慎になる)(最低最悪の己の人生、もっと良いやり方があったのかもしれないけど、この人生でしか起きなかった幸福や奇跡があるということ)(「まちがいさがし」やん)
とはいえ、いま生きていてくれて良かったし、いま生きていて良かった。
高3の頃のわたしを救ってくれた歌たちが、24歳のわたしもまた慰めてくれました。
コロナなんて絶対絶対なかった方が良かったが、コロナが無ければ、遠く離れた南の島にいながらにいして福岡で歌う小山田壮平に救ってもらうことも無かったかもしれない。
分からない。
起きたことだけが分かる。