3/20~3/21にかけての日記

3/20

夕方からみーちゃんと遊んだ

インスタでメニューの情報は一切載せず、猫や道端の草やジャニーズCD?の写真を載せて「ジャニーズを聞きながら」と繰り返してる謎のカフェバーに突撃をかました。
入り口にタイプライターが置いてあって店内のディスプレイもすごく素敵で可愛いお店だった。
くたびれた感じの長髪マスターが(悪口じゃないです)、(何しに来たんですか…?)みたいなテンションで「カクテルですか…?カクテルとコーヒーのお店ですけど…」って聞いてきて(なんかちょっとこえ~🎶)と思いつつ
「なんか…あんまお酒強くないので…ジュースみたいな…」とかいうバーにあるまじきオーダーをした。(ジンジャーエールみたいなお酒を出してくれた)(マジでジュースみたいで美味しかった🎶)

んでまぁみーちゃんといろいろ楽しく話した。

途中でみーちゃんがジャニーズナイトについて聞いてくれて、そしたら「どのグループが好きなんですか?」「いつから好きなんですか?」て聞かれて各々JUMPとNEWSのアルバムの名前答えたら全部分かっててめちゃめちゃ詳しくてすごかった。
そしてPCDJコントローラー(あのDJが使ってる機器の名前、調べました)でジャニーズ曲をMIXしてくれてめちゃめちゃかっこよかったし楽しかった。みーちゃんと二人でブチ上がってしまった。
光くんがすきと言ったからかスタートデイズとか流してくれて(え?マジの玄人すぎん?)となって畏敬の念を抱いた。

 

みーちゃんが家族の話をしていて、私も家族の話をした。

ちょうどその日、お昼くらいからお兄ちゃん家族が実家に来ていて、お母さんがいろいろ愚痴っていて「私がお兄ちゃんに来んといてって言おうか?」って言ったらお母さんに「あんたはいいけど私はこれからも付き合っていかなあかんのやで、言わんといて」と言われて(付き合っていかなあかんのやったらなおさら嫌なことは嫌と言った方が良いのでは・・・・・・)と思った。
(そしてここで指摘された離脱という選択肢を留保したコミュニケーションについては「動物化するポストモダン」で言及があり、(そうですね…)になった)

兄、ムズいよね

私に10巻までのドロヘドロを貸してくれた兄があれからウン年経って二児の父となり、わたしにドロヘドロの結末を聞いてきたの(花束みたいな恋をしたじゃん・・・・・・)という感じだった(社会性に飲み込まれるということとサブカルチャーについての話です)
私のパソコンとかスマホとか見て兄は兄の日記に「妹がなんか羽振りよくなっていた」と書いていたけど(人の日記を見るな)、まぁ羽振りよくなっていたというか…って感じではある
私は25歳で、一人暮らしで、田舎にある会社の寮に住んでいて、趣味に好きなだけお金を使ったところでなお有り余るお金があるのだ(それは嘘だけど、でも普通にsurfaceも買えるしpixelも買えるのだ)(特にこういう何回も繰り返すわけではない比較的高額の買い物というのは、買ってしまえばずっと持っておけるものだし、それは手元にどんどん増えていくものだと思うのだ)(しかも若者の一人暮らしというのはマジでご飯なんてろくに食べなくても良いので食費をいくらでもカットできるのだ)
それに対して兄には奥さんがいて、子どもがいて、自分で稼いだお金を全部自分で使えるわけはなくて、さらには奥さんが出産で里帰りしている間は、労働と上の子のお守りで自分の時間さえほぼないという状況だった。
私にモモを、ハリーポッターを、舞城王太郎を、ドロヘドロを、RADWIMPSを、BUMP OF CHICKENを教えてくれた兄は、今や最近のカルチャーであるとか流行というものをほとんど全く知らず、プリキュアに詳しくなり、オモコロでファストな娯楽を得て、煙草で憂さを晴らしていた。
かなり怖かった、でもこの社会で「正しい」とされることをしているんだとは思う、この子どもを育てづらい大変な時代に、ド田舎の地元で、毎日働きに出て、家族という営みを行っているのは本当に立派だと思う。私にはできないことなので…
でもさ、だからといって休日に母の都合とか無視して実家に来て騒がせてくるのって普通に迷惑じゃないですか?なんかこういう人の善意というか「普通は祖母は孫を喜んで迎えるもの」みたいな、暗黙のルールみたいなものに付け込むような邪悪さって、それこそ舞城が描いてきたものじゃないんですか?って思って鬱になってしまった。(それは例えば淵の王におけるさおりの友達だったり、トロフィーワイフの棚子の振る舞いだったり)
母は「でもアパートより気が楽なのかもね、騒いでも隣人に怒られたりしないし…」と言っていて(そうだね…)(邪悪なのは何…子育てしづらい社会…?あるいは子育てのしづらさを近親に皺寄せる個人…?)となって何も分からなくなってしまった。

でも確かに誰も頼ることができず死ぬよりも、多少他者に迷惑をかけて生きた方が良いのかもしれない(本当に?私は絶対にそれが無理なので死ぬんですけど…)

でも結局そうだ、神経の太い人たちが生き残る、強い人たちが生き残る、それが適者生存・・・・・

 

とは言えなんか姪ズと姪ズの周りの大人たちを見ていると(姪ズたちのために史上最強のクソ人間として生存しておくべきかもしれない・・・・・・)というお気持ちになってくる
ここは田舎の狭い世界でしかなくて、人はみなそれぞれが特殊で違っていて、「普通」とか「当たり前」って言葉で偽装された不当な要求を突きつけられたときに、それは違うと代わりに言う大人が必要なのではないかと、勝手ながら。。。。。、。
分からない、あるいはそれが偽装されたものであろうと、多数の人が「普通」「当たり前」と言うのなら、それが良いと望む人もいるんだろうけど、そしてそういう人たちのために「言ってあげる」みたいな傲慢な啓蒙活動がどれだけ愚かしいものかも分かっているつもりだけど

 

みーちゃんは家族に対してかなり真剣に向き合おうとしていて本当に素晴らしかった。

てかみーちゃんて本当にすごいんだよな。

なんか私が高校生だったとき「自我があってすごかった」って言ってくれたんだけどマジで恥ずかしいんだけど本当に(社会不適合者なので…)としか言えないんだよね。
でもみーちゃんの言いたいことは「自分の心に向き合うことをしていなかった」ということで、なんていうかそういう高校生がいるってことが私的には本当にすごくて…大人すぎる…
いろんなことを我慢したり、いろんな人を気遣ったり、してきてたんだよね…本当にすごいよ…と思いました。
この「自我があるか問題」は大学のときもけっこう話題になっていて、つまり「自分の頭で考えて選択することの重要性」に繋がる話だと思うんだけど、(それは「みんなの言うことを迎合して思考停止している人間」への批判と表裏なんだけど)まぁ確かに私のわがまま放題っていうのはある種そういうことだったのかもしれない、でも他者への思いやりみたいなものが致命的に欠落してたのでどっちにしろ私としては依然黒歴史に変わりないんだけど…
「他者にどう思われるか」みたいな視点を捨て去れば簡単ですよ…と述べておいた(最悪)(でも今は本当に価値基準は人それぞれ違うので…と思っています、同じことのようだけど高校生の頃の尖るための尖りみたいなのとはまた変わったんじゃないかな、と自分では思っている)

 

こないだ失友に会ったとき、高校の世界史の先生が「世が荒れているときは喜劇が流行り、世が良いときは悲劇が流行る」と言っていたのを今でも覚えてると失友が言っていて、鬼滅やチェや呪…などを挙げて、かなりグロテスクな作品が流行っている今は結構良い時代なのかな?という話をしてたんだが、さらなる地獄を見ることで安心したいのでは?とも思ったが、どうなんですかね?

オタクはすぐ創作物に地獄を求める

創作物に心をめちゃめちゃにされることをほとんど願ってすらいる、そうすることで救われる心があるからだとわたしは思っているんだが
ていうか地獄という名の衝撃派で現実の諸々をぶっ飛ばしたいというお気持ちな気がするが…

個人的には非現実への没頭が現実逃避として扱われるのが無理で(てか他者に評価されることが無理なんだが)、マジで現実が最高だったとしても私は非現実を愛しますが?と思ってるんだけど現実が終わっているので説得力がない
でも説得力って所詮他人への説得力でしかないっていうか、自分にとっての最高と他人にとっての最高が違う以上どうやったって証明も説得もできない、証明のために他者基準に準じる筋合いはねぇ、マジで好き勝手やって他人になんと思われようが自分の最高のまま死ぬ

なんかわたしのこの常識の無さというか倫理観の無さというか他人の目気にしてませんムーブって、他人の目を過剰に気にする本来の(?)(それが本来のものかは分からないが)自分へのカウンターとして現れてるからマジでムズい
他人の目をめちゃめちゃ気にしてるからこそ社会や世間体や外面や一般論や普通を憎んでいる

 

みーちゃんが高2の私が「球技大会休む…」とか言ってるのを怒ったという話をしていて、この時点でマジで覚えてないけど本当にすみませんでしたって感じだったのに「失友ちゃんはそういうの『そうなんだ』って受け止めるタイプだけど…」って急に失友に言及してきて気絶するかと思った
あれから10年近くが経ち私もだいぶ失友と失友に対する己のキモさに自覚し向き合うことができるようになってきた…と思ってたけど第三者からの言及への耐性なさすぎて即死しちゃった(と書いてみて気づいたけど別に関係性への直接的な言及じゃなかったのにこの様)
(なんでわたしの話で失友が出てくるんだよ・・・・)みたいな過剰な自意識が働く時点で全く打ち克てていません

高2の私、球技大会を休むな!球技大会を休むといって友達に自分を叱らせたり気遣わせたりするな!

ともかく私が高校を卒業できていま割と笑って(割と)高校の頃のことを話せたりするのは完全にみーちゃんのおかげなので、ありがたい。昔も今もすごくありがたい。

そして他者に「ありがたい」と思う時、私の頭の中に同時に顔の浮かぶ人たちがいる。私を救ってくれた何人かの他者の皆さん、本当にありがたい。今も昔も

 

昨日、お母さんが兄2のとこで子どもが生まれるのでそのお手伝いに出発してしまって、そのせいか分からないけど全然寝れなくて困り果ててしまった。
2時くらい?までひたすら寝れずにごろごろうろうろしていて、まぁそのあとなんか意識があるようなないような…って感じでいつの間にか6:00だったけどそっからちゃんと寝れて気づいたら8:00過ぎだった。猫がお腹を空かせて待っていてゴメンという感じだった。
猫、めちゃめちゃ可愛いのですが、なんか猫を自分の心の空白を埋めるための道具としているような気がしてきて己の邪悪さが怖い。
可愛いけど自分がしたいことあるときに遊んで―!って言ってくるときに(めんどいな~)とか思ったりして本当に邪悪。こんなに可愛いのに…?
噛まれるのとかも普通に痛くて嫌で、いつか蹴っちゃったりしちゃいそうで本当に怖い。そういうことを考えていて、昨日布団の中で「騎士団長殺し」の免色さんのことを思い出した。1時間経っても穴の蓋を開けずに永遠に放っておいてしまおうか、という暗い想像を、少しでもしなかったか?と免色さんは主人公に尋ねた。
そのような暗い想像をしてしまうということが、すごくよく分かる。そしてそのような暗い想像をしないことの凄さが。
暗い想像力はまた、舞城の怪談を思い起こす。お化けは想像することで現実に生まれてしまう。私の暗い想像が、想像をしてしまったがために、現実でこの可愛い猫を痛めつけてしまう日がくるんではないかと思って恐ろしい。

我慢のできない我儘な私が、暗い想像に飲み込まれず、耐えていることができるだろうか。

耐えられているうちに死んでしまいたい。

私はこの世界一可愛い猫を守らなくてはならない。

あの高身長の人のキモいnoteに対して「自分は絶対に大丈夫だ、という人ではなくて、自分ももしかしたら加害者になってしまうかもしれない、という恐れを持った人がいい」というツイをしていた人がいたけど、マジで己の狂いを怖がれる理性が己に残っているうちに死んだ方が良いな