アイドルと政治

 

 

発端はこのツイート
そしてここで語られていることは、このブログ主さんのこういう考え方に基づいているらしい
 
読んだときに、反射的に起きた反発心。もともとわたしは判官びいきというか、みんながみんな迎合しているのがキショいのでそれと逆のことを言うような天邪鬼なところがあるのだけど、
というか本当に言えばなるべく《中立》でいたいのだ。
何かの意見を見たときに、それにすぐ是というのではなくて、その反対の意見も知りたいし、それから考えたい質なのだ。
ちょうど先に挙げたブログで、《中立》でいようとするジャニーズへの批判があった。
声を挙げないことは現政権寄りの立場だと。
 
最近は本当に政治ブームというか、コロナへの対応が特に大きなきっかけだったと思うんだけど、多くの人が政権批判、著名人が政治の話をして、それを批判する人がいて、政治の話を批判する日本文化を批判する人がいる。
 
こゆ構図最近みた。
 
Hey!Say!JUMPのセトリに関して、もはや伝統芸・大喜利みたいにして笑ってたはずなのに、急に「JUMPを貶すの止めようよ」みたいなツイートが乱立してる
 
そゆのが私は本当にキショいと思ってしまうのだ。
 
もちろん自分ひとりだと言いづらい、誰かが同じことを言ってると安心して言いやすくなる、みたいなの、あるんだろうけど、本当に思ったことはいつでもどこでも言えよ、と思ってしまうのだ。
風潮とか時流を見て立ち位置を変えるな。
人は日々変化している生き物だから、変わることはいいけど、だったらそれ込みで説明しなよ、と思う。
だから私は本当に政治的なやりとりが向いていないのだ。
思ったことしか言えないので、、、
(ここまで自分の立場について自覚的じゃなくて、自分の発言に無責任な人々への愚痴)(インターネットにキレるな)
 
政治って何だろうと考える。
政治と宗教の話はすべきではないという習慣が、誰に教わったわけでもなく自然とそこにあって、そういう話をしている人たちは「厄介な人々」として避けて通ってきた気がする。
アイドルは宗教的だと思う。
というかオタクの活動はしばしば宗教的だ。
推しを神にして、推しの言葉を啓示にする。
推しを信じているから生きていくことができている。
政治は「まつりごと」で、「祭り」「祀り」に通じる。
宗教と政治は日本国憲法が制定されて信教の自由が保障されたことで分離されたけど、それまでその2つは密接に繋がっていた。
どうして宗教と政治が分けられたんだろう?
たぶん1つは信教の自由を保障するためだ。国がなにか1つの宗教に肩入れして、それを信仰することを全国民に強い始めると、それは洗脳であり、自由を縛ることになる。
なんの根拠もないけどもう1つ思い浮かぶ理由は、宗教が持つとんでもないパワーによるものではないだろうか。
人は見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じる生き物だけど、何かを信じた人間には、論理性とか、世間体とか、常識とか、道徳とか、そういう普段私たちの平穏な日常を守ってくれている当たり前のルールにもならないようなルールが通用しなくなる。
特に論理性を無視できてしまう人はかなり怖くて(これは自分が往々にしてそうだから言えることですが)対話を諦めた人に語りかけることはくたびれ損の骨折り儲け、ただただ気力と体力を消耗するだけで何も得られない地獄の行いなのだ。
 
政治とは・・・???社会とは・・・???ということを考えていて、中高時代に習ったようなおぼろげな記憶を検索していくうちに、プラトンの『ゴルギアス』におけるソクラテスの言葉を対話風にまとめてくださっているページを見つけ、(なんか本当にそうだな・・・・)になったので引用します。

また、君の言うように「不正を受けないこと」を望むなら、必然的に支配者や独裁者の側につかねばならない。
しかし、支配者は自分より優れた者を恐れ、排除しようとする。
あくまで自分の行動や考えに近い者や従う者だけを仲間にする。
支配者と親しくなれるのは、不正を行う彼らと似た品性を持ち、かつ隷属することに何の抵抗も感じないような主体性なき人間だけなのだ。

不正を受けることを恐れる少年は、若い時から支配者と同じものを喜び同じものを嫌うように自らを習慣付け、自分という人格を捨て支配者と同一化しようとする。
確かにそれによって「不正を受けないこと」という目的は達せられる。
しかし、「不正を行わないこと」は達成できないどころか、むしろそれを率先して行い支配者の色に合わせることでしか、自分の地位を確保できなくなる。
「不正を受けない」と言う目的は、やがて「不正を行う」という目的にすり替わる。
結局、それは私の言う最大の害悪(不正をする醜い心)に自分で自分を陥れることであり、不正を受けることを恐れるあまり、自分の心を殺してしまうことになるのだ。*1

 
なんか本当に1000年経っても一生おんなじことやってるな、人間・・・・
世、ソクラテス先生の教えを読みなよ・・・・すでに本質情報に辿り着いてるので・・・・
になったけど、カリクレスが反論しているように、心を殺してでも、肉体の死を免れたい、生き延びたい、と思う人はいるし、どれだけ論理的な正論を叩きつけようとそれは変わらないだろうし、逆もまた然りなのだ。
人はそれぞれ違う。
宗教と政治もそうで、みんな思っていることはそれぞれ違っていて、でも別にそれでもよくて、これまでにたくさんの戦争を起こしてきたのは、「自分と考えの違う他者を許せない」人たちなんだと思う。
人はそれぞれ違うこと、そしてそのそれぞれの違いすべてに価値があり、優劣はなく、他者を侵すものという例外を除いてすべてが尊重されるべきものであること、
それをみんなが分かっていれば、この世界はみんなにとって、もっとずっと生きやすくなるんじゃないかなって思うけど、
政治の難しいのは、「みんなそれぞれ違うね~」で終わりってわけにはいかず、どっちに進むか、どうやっていくか、何をみんなの共通善とするか、みたいなのを一応ひとつ・ないし一方向に定めなればならないところなんだろうね。
 
そこで私たちはその行く先を一応民主主義ということで選挙によって国民が決めているということになってはいるけど、投票率が低すぎてお話にならないらしい。
民主主義国の市民は、権利を持つだけでなく、政治制度に参加する責任を持つ。その代わり、その政治制度は市民の権利と自由を保護する。*2
政治が進む方向によって命を脅かされる人も出てくるわけで、今回のような未曾有の脅威にあたって、己の生命の行く先を政府にどうにかしてもらおうとするのは、当然のようにも思えるし、(今さらすぎるでしょ~)の気持ちもあるね。
権利があれば当然責任があり、今まで政治に参加してこなかったツケを支払わされているのかもしれない。(酷い自己責任論だ!と言う人もいるみたいだけど)
(最近Twitterで罵詈雑言を呟くことで政治制度に参加しているおつもりになっていらっしゃる方も多いけど、私は本当に煩いなと思っている。選挙率を上げるための啓蒙活動と思っているのかもしれないけど本当に身の回りの数人しか見ていない呪詛をネットの海に流すのが意味のある行動か?)
話が逸れるけど、こういうときにソクラテス先生の「肉体の死を恐れるな・・・・善く生きよ・・・・」みたいなこと言われても普通に「うるせ~~~~~~!!!!!!!」としか思われないんだろうな。
この世界の人たちは存外生きたがりが多いみたいだ。
(となるとソクラテス先生の主張って今の時代においてはどんな位置づけなんだろうね?世界の均衡と調和と理性的な安定のために良いように使われているお綺麗な置物なのか?)(まぁでもこういう事態ではなく、ある程度安全で安定した生活が保障されると人間はただ生きること以外の目的を求めがちですよね)
 
きっとこれも人それぞれの考えで、誰にも押しつけることはできないんだけど、
私にとってアイドルは神だ。
idolという言葉の持つ元の意味の通り、それは偶像で、私は彼らに私が見たい夢を見る。
神は人間が作ったものであるように、私にとってのアイドルも私が作ったもので、人間は人間を作れないので、信仰とは彼らを「神」という名の「モンスター」「クリーチャー」「人ではないもの」に貶めることなんだと思う。
私はその自覚がありながら、そこに罪悪感はない。
それが私たちの契約だからだ。
アイドルが私に甘い夢を見せてくれている限り、私はコンテンツにお金を払い続けるし、それによって彼らは生活を成り立たせているのだ。
アイドルに夢を見れなくなったら、自由にファンでいることを辞めていいし、
夢を見せることに疲れたアイドルは、自由にアイドルであることを辞めていい。
あるいは夢の買い手がいなくなったアイドルは、アイドルを続けてはいけないだろうし(もちろんジャニーズという事務所にいる限りそんなに簡単にアイドルを廃業することにはならないと思うが、もしそうなったとしてもアイドルになることが目的ならば市場はたくさんある)、
夢を見続けたいから、好きなもの――飲食店や作家さんと同様に――にできる限りお金を払っている側面もある。
だから私はアイドルを肯定する。
アイドルの見せてくれたものを信じるし、もっと言えばアイドルが見せてくれたものの中で、見たいものを選び取って信じる。
私が好きなアイドルでいてほしいから、私は私の愛を惜しまない。
全身全霊でアイドルを見つめて、望んで、祈って、今日も私が欲しい私のための啓示を待っている。
アイドルが過ちを犯したとき、夢を見続けることができなくなったという点において契約違反だが、あるいはその過ちに目を瞑ってでも(それは忘却や容認や事実の歪曲など様々な形が考えられるけど)夢を見続けることを選ぶのかもしれない。
 
最初に挙げたブログで、ブログ主さんは
ジャニーズの言う「絆」とか「感謝」とかは、政権が言っていることと一緒だ。ジャニーズは今、高度に政治的な発信をしている。
と言っているが、これはある種当たり前で、なぜならジャニーズは国民が民主主義において選んだ政府の決めた方針で難局に立ち向かっているこの日本という国の中の一企業だからだ。
政治的な発信というか、政府が決めた大きな方向性の中で、自分たちにできることを遂行しているだけだ。
それを批判するなら、まずは私たちが私たちの手で政治を決めなきゃいけないだろうし、「政治に参加しろ!」と求めるべきはアイドルたちではなく、私たち自身だろう。
(また話が逸れるが、実際ジャニーズ事務所はコンサートのグッズ生産業者や流通業者などを救いつつ、物資やお金を医療関係に寄付するなど一企業としては十分すぎるほど、精神論に留まらない実際の行動を起こしていると思う。数年前まで消費者センター待ったなし!みたいな対応が溢れていた企業と同一とは思えnモゴモゴ)
 
アイドルを個人だと思っていない、ということにすべての理由は収斂するのだけど、アイドルに政治を語ってほしくない理由をさらに細かく考えてみると以下の3つになると思う。
 
➀余計な論争に巻き込まれてほしくない
職業としてのアイドルをしている人間・個人としてのご本人がどういう考え方をしているのかは正直「どうでもいい」。
私にとってのアイドルの姿を保ってくれていればいい。
政治的な立場を明かすことは、それがどちらの立場にしろ(二極化した立場を想定するのは良くないことのように思われるけど)、どちらかから要らぬ攻撃を受けるんだとしたら、私はそれを好ましく思わない。
表面的には、「アイドルが可哀想」だし、この文脈で言うなら「私のアイドルが不特定多数の人間に攻撃されるのは相応しくない」だ。(こういう風に言うと本当に利己的な考え方だな、と思うけど、すべての考えは利己的に言うことができてしまうものなので、あまり自分を責めないように。私より)(それはそれとしてエゴに自覚的でいることは常に大切だと思っている)
立場を明かさないことで身を守れるんだとしたらぜひともそうしてほしい。
 
②シンプルに面倒
こちとら夢を見るためにアイドルを応援しているので、わざわざ現実的な話をして興を削がないでほしい。
しかもそれがアイドルの生活事情とか、趣味とか、友人関係とか、そういう夢が広がるような現実ならまだしも、よりによって「面倒だ」「争いのにおいがする」「タブーだ」といったイメージのある「政治」の話をする必要があるだろうか?
 
③余計なノイズ
②に似ているが、もしもアイドルが表明した政治的立場が、自分とは異なるものだった場合、それは夢を見るうえでかなり邪魔な情報になると思う。(同じだったらいいのかというとそれも違うんだけど)
もちろん先に述べたように、誰が何を思うかは自由だし、自分の意見や考えを他者に押しつけることはできないので、仕方ないんだけど、
でも純粋に夢を見るためには、知らないままでいたいことってあるじゃないですか。
アイドルが職業なのはまさにそれで、プライベートのこと全部知りたいなんて言うてないんですよ。
綺麗な部分だけ見せてくれればいいし、見えない汚い部分がもしもあったとしても、それは見えない限り無いものと見なせるのだ。
 
支離滅裂だけど自分の考えの整理のための文章だから良いこととする。
おわり。