失った友達の話

いまから失友と会うんだけど怖すぎてもう帰りたいな

午後4:59 · 2020年2月1日

17:00集合22:30解散

午後10:45 · 2020年2月1日

 

無限にジャニーズの話をして、ジャニーズがなければこんなに話せてないのでジャニーズに感謝過ぎる

ノンアルコールの正気のまま狂気の話するのがほんとに一番楽しい

失友と本当にオタクのオフ会か?ばりにジャニーズの話をしたんだけど、身元が知れてるから仕事の話もできるし元々互いにオタクだから二次のこととかも話せるしたまたま(?)二人ともジャニーズにハマってるからジャニーズの話を永遠にしていただけで、逆に話せない話がなかった

「高校の話はしないでほしい、、、」と言ったら「なに?黒歴史なの?」と言って笑ってましたが本当に全然触れないでくれたので優しいんだよ、失友は。。。。。。

たまたまと書いたがジャニーズへの嫌悪感(というほどのものではないが、ジャニーズがでると『うわジャニーズかい』と思う感覚)を取り除いてくれたのは失友なので完全に因果

失友にわたしの光くんの解釈説明するとき「博愛すぎて誰にも興味ないみたいな」と言ってから、(うわ、失友にもそういうところがある、わたしは失友のそういうところが好きで嫌いだけどさすがに本人に向けて言うのは失礼だっただろうか)(本人に向けて言ってるわけじゃないが)と思ったが、

当たり前のように失友は人間なので怒ったりするし、何かが嫌いだったりする、特定の思想があって、超越者ではない、ということを今回会って再確認できたのでなんだか安心したような失望したような感じ。(※追記:これはかなり健全なことなんだと思う、人間を信仰していも関係者全員苦しいだけ(なので失望と書いたのだけどネガティブな意味ではないんだよな))わたしは黙って光くん(神)を信仰しています

五時間喋った後に無限ツイートすなて感じだけど、頭の回転が遅いので、誰かと話したあとそれを噛み砕いて自分で思ったことを発信するのに時間がかかる、その場で完結できない。。。

あとなんか話題の話だけど、こないだ〇〇さんと喋ってて思ったけど、人の繋がりて本当におもしろいもので、最初は同中で同高で邦ロック好きで…みたいなところから仲良くなったので、互いにそれ以外の部分を全然知らないという現象が起きる、あといま別に邦ロックの話しないけど普通に一緒にいれる

私とかかなり筋金入りのクソオタクの面は全然見せずにいたので、ジャニオタを熱心にやっていることを驚かれたりするが、ジャンルが変わっただけでずっとオタクでした、、、なんか騙しちゃったみたいですみません、、、みたいなお気持ちになった(全然すみませんと思っていない人)

友達っていうのは必ずしも趣味が同じとか共通点があるとかではないし、趣味が同じでも解釈が違えば地獄、なんとなく波長が合って楽しく喋れたり一緒にいれたりするっていうのはかなり奇跡だし感謝。。。

失友がアイドルに対して「オタクのことは気にせず自由にしてほしい」と言っていたの、(本当にそうだよね)のお気持ちになった、アイドルも一人の独立した個人、オタクが何を喚こうがアイドルの人生には何の関係も責任もないんだから、本当に黙っとれという話だね。。。(失友の正論は耳が痛い)

 

===ここまでTwitter===

<<追記>>

2020/02/02でなんか美しい日なので今日のうちに失った友達のことを記録しておこうと思う
都合の悪いことは都合よく忘れてしまう最低な私なので、だんだん記憶が消えてきているからです
高校1年生のときに仲良くなった失友は本当に気の合う友人で、同じ言葉を話す人だ!と思えた
1言えば10伝わったし、1言われれば10理解できた
なんか本当にきしょいけど私は失友のことが大好きだったのだ(てか今も全然好きだけど大好きと言えるほど一緒にいないし物理的にも時間的にも離れすぎてしまったなと思う)
分かりません、友達のことが大好きすぎるのはおかしいのでしょうか、なんとなくおかしい気がしているからこういう風な書き方になっている訳だけど…
どこか疚しい気持ちがあるから…
あるいは私が過剰に考えすぎているだけかもしれません…(青野くんの作者の人のTwitter本当に共感できます)
本当は友達のことを大好きすぎてもおかしくありませんと言いたい、言えるようになりたい、だから私は無性愛者を名乗っているようなところもあるのだ、一人の人間として好きでありたい、すぐ性愛に繋げて考えてほしくないし考えたくない
とにかく失友のことが好きすぎて、好きすぎると関係性って本当にムズくなるのだ(私はいつもそう)
特に高2に上がった時にちょっと距離ができてそのころから傲慢にも(私以外の人と仲良くするなんて)という気持ちがずっとある。何なら今もある(本当にきしょいのは重々承知しています)
ずっとそういう気持ちだったけどそういう気持ちを言葉にすることはできず、上手な距離がつかめず、でもなんとなく親密さのある関係だったと思う、高校卒業まで、、、
大学に入ったら一緒に住めたらいいねなんて言っていたときもあったけど、当たり前に大学では別々に暮らしていて(互いに東京に住んではいたけど)
たぶん大学入学してすぐくらいに失友が家に泊まりに来て、なんだか嫌なところばかり目について悪いことばかり考えるようになってもう全部が嫌になってしまったんだと思う、たしか…なんか本当に(詫び・・・・・)(切腹・・・・・・)すぎてこのへんの記憶曖昧すぎる、酷いLINEを送って一方的にブロックした気がするけど、LINEの内容も覚えていない…(それを教訓として大学で失った友達のブロック前のLINEはスクショしてある)(人生の中で何人も友達を失ってるのマジで人格破綻者すぎる)
なんかそれも因果か?て感じなんだけど、失友のことをゼミの失った友達に相談していて、「そんな関係性は捨ててしまえ」という旨のアドバイスを受け、そのころは本当にその友達のことを信頼していて、正しいことしか言わない!と妄信していたので、なんか突然の強攻に及んだんだよね(その友達のせいにしている訳ではないです)(なんか本当にしばしば「この人の言うことは最もだ!」と思い込んで自分の頭で考えられなくなって人生が支離滅裂になってるの、私の悪いところというか情けないところです)
なので失友にとったら何が何だか分からないうちに勝手にヒステリーを起こし消えていったクソ迷惑なメンヘラ女・・・という感じだったと思うんだけど、
こちとら「私ばっかり好きみたい・・・」「〇〇ちゃんは私に全然興味ない・・・」「もう二度と会いたくない・・・」「こうやって虚しくなるなら友達でいたくない・・・」みたいな気持ちで一人でぐるぐるしていて、そうやってブロックして関係を清算したつもりになったものの、元々が一人相撲なので一人になってもぐるぐる失友のことを考える日々は終わらないのだった~完~(完じゃない)(いまだにぐるぐる考えるときがある)(さすがに今は開き直って「○○ちゃんは私に興味なし!解散!😊」となっていますが…)(明るいメンヘラ)
でも成人式のとき、地元に帰って高校の同窓会があって、そのとき帰り際に情けない謝罪をして、一応交流が復活したのだ。
思い返すとマジで身勝手すぎて本当に墓穴を掘って埋まりたい気持ちになる
失友はあっさり許してくれた…本当に…そういうところだよ…
で大学3年4年とかはたまに会って遊んだりご飯食べたりしていたんだけど、なんか己の罪悪感と、先がなさすぎる…みたいな徒労感と、相変わらず自分の一人相撲だなみたいな失望感に苛まれていて、
大学卒業と共に「もう一生会わないぞ・・・・・・遠くで幸せに生きてくれ・・・・・・」みたいな誓いを勝手に打ち立てたのだけど(今度は失友に宣言などはしなかった)、
私の好きなアイドルと失友の好きなアイドルが一緒にイベントをやるとなり、一瞬でその誓いは打ち消された(脆弱な意思)(これが2019年4月のこと)
と言っても、2019年1月に失友から「また会いたいので帰省するとき教えてね!」と連絡が来ていて、本当にこれも飛び上がりそうに嬉しかったんだけど何とか己を律して予定が合わないということで会いチャンスを潰していたのだった
今回本当に本当に本当に会いたいと連絡するかどうか迷ったんだけど、連絡する直前に高校時代の同級生たちに会って喋って、
なんか分かんないけどどうしても会いたいなという気持ちになったのです
どのお店行こうか?という話でも、『あなたに会うのを楽しみにしているのでぜひ素敵なお店に行きたいのです』という気持ちと『でもあなたに会うこと自体が楽しみなので本当のところ場所はどこでもいいのです』という気持ちが伝えたくて、地元の今っぽいおしゃれなお店を調べたの三軒と地元のチェーンラーメン店を挙げた(文字にすると本当にきしょいが失友と関わるときわたしは本当にこういうことをいちいち考えているんだよ)(なんかそれが我ながら憐れで可哀想すぎるので自分だけでも忘れないよう記録しておく)
それに対して失友は「じゃあラーメン食べて、そのあとカフェにいく?」と言ってくれて本当にうれしかった
全部分かってる人ですか?になっちゃった(なんかこれも厄介で、全部分かってる人ですか?という期待をしていると、分かってもらえなかったときに勝手に不機嫌になっちゃうんだけど、本当にそれは勝手にやっているものなので相手には関係のないことですよ、自重すべき)(でもとにかくなっちゃったのです)
そして実際に会えてとても楽しくて、伝わるかどうか分かんないけど、自分のお気持ちを少しでも伝えようと思って失友にLINEをした。(お気持ちを表明せずにはいられない私)
要約すると「本当に楽しかった、好きすぎていろんな気持ちになってしまいますすみません、会えてよかった」ということです。
そのようなことを表明した言い訳として「人生であと何回会えるか分からないし…」と書いた。
自分で何気なく書いたことなんですけど、本当にそうで…
今日ちょうどテセウスの船を見て、家族愛について考えたのでそれもあるんだけど、よく「親とあと何回会えるか分からないし…」みたいなことを言われるけどなんか全然よく分からなかったんだよね、本当に薄情者だから・・・
でもそれを失友のことで考えると本当によく分かる
一年に一度会ったとしても、この先50回?60回?くらいしか会えないと思うと本当に寂しい気持ちになる
まぁとにかくお気持ちを表明することにしましたということです。
伝わるだろうとか分かってくれるに頼りすぎていた
これはインスタにも書いたんですが、私たちは結局どこまでいっても他人同士で、違った個体で、一つになることはできないのだ(キス唾)
同じ言葉を話す人に出会えた喜びで、もっともっとと理解されることを求めてしまいがちな私ですが、やっぱり「人はそれぞれ違う」を念頭においておかなければならない・・・・・
でも違う人間だからこそ、お互いの見えている世界を相手に少しずつ分けてあげられるんだと思う
人はそれぞれ違うことが、今の私にとっては救いだし、喜びだし、楽しみです
誰かを理解しようとすること、誰かに理解してもらおうとすること
同じになろうとするだけじゃなくて、わたしとあなたの同じところと違うところを見つけていくこと(←これは、誰かに「人は一つになれないのに、なぜコミュニケーションをとるのか、、、」と聞いたときに教えてもらったこと)
本当にいろんな人から、いろんな方向から影響をうけているな
だから結局みんなに感謝なんだけど…自分がクソ人間すぎて、感謝にも重みがなさすぎる。マジで己のクソ人間ぷりに引くっていうか…反省しきりです、、、
もっとまともな人間になれるように頑張っていきたいよ、この決意を忘れるな

そして、「返信不要です」として送った失友へのお気持ち表明ですが、ちゃんと返信が来ました(マジでTwitterのFFかよ)
「素直にうれしい」「あなたと話すの本当に楽しいし素で話せるんだよ」という旨の返信がきて泣きました(え~ん)(わたしが喜ぶようなことを言うな!!!)(調子に乗らせるな!!!)(でも本当だったら、本当にうれしい……)
また会えるのを楽しみにすることにする