ボカロと合唱

ボカロ曲の思い出といえばですが、中3のときの学校の合唱コンクールでクラスの課題曲をそれぞれ代表者が取り合って決めたんだけど、私のクラスは事前の多数決で桜ノ雨が第一希望ということに決まっていて(別にオタクが多かったということではなく、試聴時に唯一のポップスで聞きやすかったから)

私としてはゴリゴリの合唱曲、「信じる」や「初心のうた」を狙ってたので(まぁどうせ人気ないだろうし適当にジャンケン負ければエエやろ)と思ってたがなんとジャンケンで一抜けしてしまい、義を通して「桜ノ雨」を選択したのだった(嫌なわけじゃないがポップスの合唱アレンジは歌うのが非常に難しい)

桜ノ雨もサビの音階が難しいしどのパートも微妙に出しづらい音域なのでいまいちサビの盛り上がりに欠け曲全体の抑揚をつけづらく、かといってサビ以外も言葉数が多くて合唱としての見せ場が少なくて非常に苦労した記憶

結局優勝は「信じる」を選択したクラスだったんだけど、吹奏楽部のめちゃくちゃかっこいい子が音監(音楽監督)か指揮者をやっていて、男声がバチッとキマッてて迫力のある文句なしに1番の演奏で、勝手にめちゃくちゃ悔しがっていた記憶がある

この話の流れで言うと(選曲が、、、)みたいな言い訳っぽくなっちゃうんだけど、私が「信じる」をやったとしてここまでにはできなかったという情けない確信があるので全然負けています(すぐ勝ち負けの話をするオタク)

中学時代は吹奏楽部にめちゃくちゃライバル意識があったから、、、(完全に一方的なやつ)(うちの中学の吹奏楽部はかなり強くて練習もキツくて体育会系で割とハイカーストな人々の集まりだったので弱小合唱部など認識もされていなかったように思われる)

中学時代の合唱部にはめちゃくちゃ思い出があり、中1のときには部活ごとで卒業生へのメッセージを撮りそれを三送会で流したんだけど、私が当時習いたてのレタリングを駆使して紙に名前を書いた「江口先輩」の文字がバランスの妙により「エロ」がめちゃ強調されてて全校生徒がザワついたり、、、

中2のときには先輩を舐めまくっており、「あの先輩たち偉そうなこと言ってっけどちゃんと歌ってんのか確かめてやろ~ぜ」と言って同期で策謀して急に歌うの止めたら案の定アンサンブルが無になり、先輩にキレられたけど二ミリも反省しなかった

中3のときはいつも県大会で金賞をとってる学校の先生が急に異動してきて革命が起き、万年奨励賞だった私たちが初めて地区大会に出場できたのだった、書写の時間に勝手に「三重」(地区大会開催場所)と書いて勝手に第2音楽室の壁に張った、そして地区大会出場がきまると今度は「全国」に張り替えた

芝先生は本当にいろんなことを教えてくれたけど「目的」と「目標」を教えてくれたのもその1つだ、なんか忘れたけど目的を楽しむこと?みたいにしてて、目標を三重にしてたんだけど、三重が決まってから(なんなもうそれで満足だよ~)みたいな空気が出始めてそれが嫌すぎてミーティングしたけど

結局目標を全国に変えるのはね~キツいよね~みたいな意見が多数派でそこでもわたしは泣いたのだった、頑張りたい人が頑張りたくない人になんで合わせなきゃいけないんだ逆だろつって。。。思えば本当に似たようなことで泣いてばかりの人生で難儀だな

じゃあ1年目2年目のときから芝先生がいたほうが良かったかというとそれは違って、確かにそしたらもっと強くなってもっと上にいけただろうけど、1年目2年目の顧問だった藤枝先生もまた最高の先生だったのだ。藤枝先生の「信頼貯金」の話をずっと覚えている、信頼は貯金と同じ、貯めるのは時間がかかるけど、無くなるのは一瞬だって

1年目2年目3年目、本当にこれが1番ベストで最高で良い形だった!すごい!運命だ奇跡だシンクロニシティだ!って、小学校からの同級生りおちゃんと繰り返しこの話をした、本当に同じように思えることと本当に同じように共感し合えることがなにより幸せだったと思う